好きなことで働く「フリーライター、ときどき料理人」のわたしが届けたい想い

はじめましてのご挨拶。

ばんちゃん自画像

はじめまして、ばんちゃんです!自己紹介をさせていただきます。

SUPLIFEをご覧いただきありがとうございます!
このページでは、はじめましてのご挨拶と、わたしの自己紹介をさせていただきます。

ざっくりプロフィール

会社員時代に、現代美術家の山村幸則氏の作品制作に携わったことをきっかけに、働き方や住む場所に捉われない生き方を模索するように。

コミュニケーションアートを通してまちづくりに関わり、「人の集まる場所には食がある」ことに気がつき、以来、食を媒介した街・人・アートの仲立ちプロジェクトを幅広く展開。
役者として舞台に立ちながら開始した劇場ケータリング”劇場メシ”では、演者やスタッフを食で支える裏方の裏方としても活動。
生産現場にも足を運び、土を耕し自ら収穫して料理をつくる体育会系ライター。動画作成チーム”ButterToast”ではシナリオも担当。

『働くことは生きること』


2007年に放映されたドラマ「ハケンの品格」での名言『働くことは生きること』。
素晴らしい言葉だと今でも思います。
ただ、ドラマが放映されていた頃の私は、この言葉をもっと煮詰めたような考え方をしていました。

「働かざる者食うべからず」が家訓の実家で育ったためか、
給料をもらってきちんと会社に勤めていることこそが立派な社会人なのだと思っている青い時代、
わたしはとにかくがむしゃらに働きました。
根が真面目だったことと、働くこと自体はきらいじゃなかったのでバリバリ仕事をしていると、うれしいことにいくつか賞もいただきました。

ところが体は正直で、社会人2年目の終わりから夜眠れなくなり、
体重も
7kg減って、週末には自宅の隅に体育座りをして過ごすという異様なわたしができあがったのです。

このときは、「働かないわたしに価値はない」くらいのことを思っていたため、左右違う靴下を履いているのに気がつかないまま、
とにかく朝がきたら会社へ向かっていました。

”働き方”って、一つじゃないこと知ってました?


人は精神的に不安定だったとしても、意外と自分で自分の状態には気づけないもので、
人から指摘されて初めて「これ、だめなやつだ」と自覚したものです。
産業医に「リフレッシュしなさい」と言われてほぼ2年ぶりくらいに、週末をプライベートな予定で過ごすことにしたわたしが向かったのは、ある芸術祭のイベントでした。

このイベントで出会ったのが
アーティストの山村幸則さんと、その後コミュニケーションアートで一緒にまちづくりを行うメンバーたち。
制作の手伝いへ誘われ、行ってみると10名ほどが朝から晩まで(ときには夜を徹して)お酒を飲んだり炊き出しをしたりしながら、かわるがわる作品をつくっていました。

学生、引退後に絵を描きながら過ごしているご夫婦、大学教授、税理士、映像クリエーター、ダンサー、フリーターまで、まるで職業のるつぼみたいな現場でした。
バックボーンはバラバラ。
ただ「アートが好き」という理由だけで、こうして同じ場所にいることに言いようのない衝撃を受けたことは、今でも鮮明に覚えています。
そして、働いている人もそうでない人も、だれもそんなこと気にしていないし、何も思っていない。

「ああ、働くって一つじゃないんだ」と目からウロコの瞬間でした。

どうやって生きたいか、それが問題だ

「働き方は一つじゃない」ということを知ったのと同時に、「働き方を選んでもいい」と気づいたのもこのときでした。
会社で働くことだけがすべてではない。
他にも選択肢があることを知ったからなのか、それとも単純に仕事以外の楽しみができたからなのか、気持ちがずいぶん楽になりました。

当時の仕事もきらいではなかったので、辞めるという選択肢はなく、わたしは会社員を続けました。
家に帰らずアトリエから会社へジャージで出勤する不良会社員となったことで、いろいろな人に迷惑をかけたと反省もしますが、

なぜか前よりも仕事にはこだわるようになり、結果的には大きな賞をいただきました。

それが元で本社転勤の話が持ち上がったときに、ようやく「このまま会社で働きますか?」の問いかけをするときがやってきたのです。
支社に居場所がなくなるわたしは会社員を辞め、
「生きるために働く」環境から、「働いて生きる」、自分の人生を豊かにする働き方を模索しながら、
今、巡り巡ってライターという仕事で生きています。

文章で生きることになった理由


会社員を辞めた後、福島県でハーフボランティアとして農村生活をしばらく行い、そこで「食」について考える機会がありました。
わたしにとって最大のテーマとなった「食」に対して向き合うため、イベントを開催したりアートを通して
まちづくりを行う中、自分も役者として舞台に立ちながら、役者やスタッフ向けに劇場で食事をつくる劇場ケータリングの活動も行うようになります。
(紆余曲折があり過ぎて端折っていますが、会社を辞めた後、ひょんなことから役者業も開始。)

「料理をつくって出すこと」が仕事になりだすと、
やりたいことと求められていることのギャップが大きなっていくのがわかりました。
食事を通して、本当は知ってほしい生産現場の声があることや、伝えたいメッセージがあるのにそれが届いていない。
その想いは、わたしがこれまで行なってきた方法だけでは足りないのだと実感しました。

「書く」という方法で伝えられること。
「書く」というアプローチで気が付いてもらえること。

それが、わたしのライターとしての出発点です。

好きなことが未来へつながっていく


文章を書くのは、昔から好きな方でした。
ありきたりな話ですが、国語の時間が一番好きで、「この話の続きを書きなさい」という、高校生にとってはわりと面倒くさい宿題も、嬉々として短編小説を書いて提出するような妄想女子高生ではありました。

当時は、「職業が小説家だったらかっこいいだろうな」と思いながらも、
いい歳になってみて、まさか本当に文章を書いて生きることになるとは思いもよらなかったでしょう。

わたしが作文以外ではじめてものを書いたのは、会社員時代に関わっていた劇場発行のフリーペーパーです。
しかも舞台を手伝う余裕がなくなってしまってからはブランクが空いたままで、
その後、ものづくりや演じ手など表舞台へと立つようになってからは、執筆らしいことはブログなどを含め一切してきませんでした。

それでも、「文章を書いてください」と頼まれたら、
「わかりました」と請け負えるだけの気持ちはいつでもあったように思います。

体の根元に書くことが好きな自分がいて、表に出していないだけで、言葉を貯めている心がある。
今でもバイブルにしている『エレガンス♡イブ』というティーンズ小説の中で、当時ではまだ珍しいオネエの登場人物がこんなセリフを言います。

大好きなことが多ければ多いほど、嫌なことが起きたとき、跳ね返す力も大きいのよ。

わたしにとって文章を書くことは、いくつもある好きなことの中の一つですが、
こうやって好きなことが未来につながっていると思うと、やっぱり生き方は一つじゃないと感じます。

本当にいいものを届けたい



生産現場で農家さんの話を聞くと、知らない情報がたくさん出てきます。
そして、社会を変えたいという想いを持って、本当にいいものをつくっている人たちがたくさんいるのに、
わたしたちはそれを見たことも聞いたこともなかったりするのです。

インターネットの世の中にいながら、届いていない情報があまり多いことに愕然としつつも、
そんなわたしだって、少し前までは気にしなかったこともなかったな、と振り返ります。


世の中には情報が溢れ過ぎていて、何を信じたらいいのか、何を選べばいいのか判断するのは難しいし、

疲れていて気にしなかったときだってあります。

でも、知っていて選ぶのと、知らないで選べないのは違う。
選択してほしいと思うから、書いて届けようと思います。

自分にできることはたくさんはないけれど、文章で届けることを仕事にしている今、書くことで伝わる想いを一つでも増やしたいと考えています。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
2019.08.15

 

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